トピックス2016.03

観察映画第6弾『牡蠣工場(かきこうば)』
監督・想田和弘さんインタビュー
世界を蝕む「文明の病」 抵抗の足場は日常に

2016/03/17
行き当たりばったりの出来事をナレーションやBGMを用いずに紡いでいくドキュメンタリー映画「観察映画」の第6弾『牡蠣工場』が完成した。過疎化と高齢化が進む地方の働く現場を「観察」して見えてきたものとは何か。監督の想田和弘さんに聞いた。
想田 和弘 (そうだ かずひろ) 映画作家。1993年からニューヨーク在住。台本・ナレーション・BGMなどのない、自ら「観察映画」と呼ぶドキュメンタリー手法で『選挙』(2007)を完成させる。同作は世界200カ国近くでテレビ放送され、アメリカ・ピーボディ賞を受賞。観察映画第2弾『精神』は、釜山国際映画祭とドバイ国際映画祭で最優秀ドキュメンタリー賞を受賞。最新作の第6弾『牡蠣工場』は全国順次ロードショー中。『観察する男』(ミシマ社)など著書多数。
想田監督新刊『観察する男 映画を一本撮るときに、監督が考えること』 想田 和弘著、ミシマ社編
発売元:ミシマ社

過疎化による人手不足に悩む牡蠣工場に中国人実習生がやってくる。映画の舞台は岡山県・牛窓にある小さな牡蠣工場。瀬戸内海の静かな街を想田監督が「観察」しはじめると─。

想田監督は、妻の母の出身地である岡山県牛窓で夏休みを過ごすことを数年間続けてきた。借りていた家の目の前が海だったので、漁師たちと自然と知り合いになった。話を聞いてみると、漁師たちはみな70~80代。彼らは「後継者がいない」「魚も少なくなっている」と口をそろえた。そのとき、「映画の種が宿った」と想田監督は話す。

「海に囲まれた日本で、漁師たちがいる当たり前の風景が失われる可能性があるんじゃないかって考えたときに、それならばなくなる前に撮っておきたいという気持ちが芽生えたんです。それが出発点です」

物語は、たまたま知り合った牡蠣生産者の工場を舞台に進んでいく。カメラはふとした瞬間に、工場の中に貼られたカレンダー脇の紙片に、「9日、中国来る」と書かれているのを映し出す。中国人実習生が工場にやってくる日を示したものだった。

映画は、中国人実習生の受け入れを一つの縦糸に物語が進んでいく。

漁村とグローバリズム

牡蠣工場には牡蠣をむく人がとにかく足りない。生産者たちは苦肉の策として中国から実習生を呼ぶ。想田監督は、「僕が観察させてもらった限りでは、受け入れ側も中国の人たちが快適に過ごせるように準備をしたり、とても一生懸命なんですね」と話す。そこで監督は、実習生制度を巡る議論で抜け落ちがちな大事な観点に気が付いたと言う。

「牡蠣をむく人がいないのであれば、人を呼んでくるもっとも単純な方法は賃金を上げることですよね。でもそれをやると牡蠣の値段も上がってしまって、消費者に買ってもらえない。だから、牡蠣の値段を上げることなく、労働力を確保しようとすれば、外国から安い労働力を受け入れるしかないんです」

けれども、そうして安い労働力を流入させると日本人の賃金もそれに引きずられて上がらなくなるので、労働者=消費者はなるべく安い商品を購入しようとする。そうすると生産者の売り上げはさらに下がって、働く人の賃金を一層上げられなくなる。

「だからこれは、誰が悪いと言って解決する問題じゃないんですよね。ものすごく複雑で構造的な問題に行き当たったという感覚が僕の中にはあります」

こうした現実に直面することを想田監督は当初想定していなかった。瀬戸内海の小さな街にグローバリズムの波が押し寄せていた。

世界は労働で成り立っている

想田監督はニューヨーク在住。移民社会・アメリカの実態も肌で感じてきた。

「アメリカの状況を言うと、『アン・ドキュメンテッド・ワーカー(書類なき労働者)』、つまり、ビザなし労働者と呼ばれる人たちがたくさんいます。アメリカでは、その人たちを不法労働者(イリーガル・ワーカー)とはあまり呼ばないんですよ。なぜかというと、その人たちが働いてくれないと社会が回らないからです。例えばデリと呼ばれるコンビニや、レストランのボーイ、農場の単純労働者などは、ほとんどが外国人労働者。その多くがアン・ドキュメンテッド・ワーカーです。その人たちをイリーガル(不法)だと言って追い出してしまったら、社会が回らないんです」

日本に住む私たちも、周りを見回してみると、コンビニエンスストアや居酒屋・レストランで働いている外国人が増えていることに気が付く。想田監督は、「日本でも将来『書類なき労働者』と呼ぶ必要に迫られるかもしれませんよ」と話す。私たちの生活はそうした人々や、国外へ目を向ければ低賃金で働いている人たちの労働の上に成り立っていることがわかる。実際、人間活動の根本である「食」にしても、『牡蠣工場』が描き出すように、外国人実習生がいなければ、成り立ちにくいのである。

重大な気づき

想田監督は言葉を続ける。

「映画の中で牡蠣工場の息子さんに『工場を継ごうと思わなかったんですか』と聞いたら、『全然』と答えられました。僕は、そのとき、なぜ継がないんだろうと思ったんですけど、後でその場面を編集しながら、とても反省したんです」

「というのは、僕のおやじはスカーフやマフラーをつくる小さな会社をやっていて、僕は3人兄弟なのですが、当然のように誰も継ごうとしないんですよ(笑)。継ぐという選択肢すら思い浮かばなくて、それでなんでだろうって考えたときに重大なことに気が付いてしまったんですよ」

「それは何かというと、僕は社会から一つのメッセージを受け取り続けてきたということ。それは、『勉強しなさい』『いい学校に入りなさいよ』、つまり、『ホワイトカラーになりなさい』ということだと思うんです」

「ホワイトカラーこそが成功者だというゆがんだ価値観が、社会に厳然としてあって、その価値観を僕も無意識のうちに受け取って、その通りに人生を歩んできたんではないかって」

想田監督は言う。これは日本だけでなく、先進国にも発展途上国にも共通している事象だと。海外の映画祭で『牡蠣工場』を観た人たちの反応も、牛窓という、ごくローカルな地域を舞台にしているにもかかわらず、同様の問題が自分たちの地域にもあると感想を述べるという。

「実はこれは文明の病じゃないのかって思うんです。そのゆがんだ帰結として、後継者不足があると考えると、たいへんなことに気づいてしまったなって」

対抗する足場はどこに

私たちの社会を蝕む「文明の病」にどう立ち向かえばいいのだろうか。そこに対抗する足場として、労働運動があるのではないかと想田監督に尋ねてみた。つまり、第一次産業や第二次産業で働くブルーワーカーたちが、その立場のままで暮らしや権利を保障しろと訴える労働運動が、想田監督の指摘する価値観に対抗する足場になるのではないかという意味として。

「おっしゃるとおりですね」と想田監督は答えてくれた。「僕たちはゆがんだ価値観そのものを是正していかないといけないと思うんです」

前述した「アン・ドキュメンテッド・ワーカー」たちは、ビザなし労働が移民局にバレてしまうことを理解した上でも、路上に出てデモ行進をする。彼・彼女たちにとって「それとこれとは別」だからである。

働く人たちが自分たちの労働条件に関して、声を上げなかったらどうなるのだろう。想田監督の言う「文明の病」は、進行を早めるのではないだろうか。そういう意味で日本の労働者の“おとなしさ”が気がかりだ。想田監督は日米の労働者の違いについてこう話す。

「例えば予算1000万円で番組制作を請け負ったとします。それが後になって予算が500万円になったということはよくありますよね。アメリカだったら、撮影期間を半分にするとか、規模を縮小するとかしないと請け負ってもらえません。けれども日本では予算が半分になっても半分になる前のクオリティーを求められますよね。つまり働く人が2倍は働かなきゃいけないってことです。おかしくないですか」

例を挙げれば、所持金1,000円のつもりで食事をしに行って、後になって500円しかもっていないことに気付いたときに、そのまま1,000円分の食事を要求するようなものである。労働に対する適正なコストという概念が見失われているように思えてならない。

もう一つの足場

想田監督はもう一つ、ゆがんだ価値観に対する対抗策を挙げた。消費者の側からの対抗手段である。

「僕は毎日が投票という考え方が好きなんです。例えば、この商品はどのように作られているんだろうと想像力を使いながら、自分の応援したい人や会社の商品を買う。ちょっとしたことですけど、大事な考え方じゃないかと思うんです」

これは要するに、消費者として、労働者として、私たちは自分たちの力で暮らしやすい社会をつくるための足場を、すでにもっているということではないか。

台本もなく撮りはじめた小さな舞台の出来事が、いつのまにか世界規模の思考につながっていく。そこに想田監督の「観察映画」の魅力がある。日常をよく「観察」すると、世界の見え方が変わる。「観察」する思考様式が社会を変えていく。劇場で監督の「観察」とぜひ向き合ってみてほしい。

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