トピックス2018.01-02

【委員長対談】社会の問題を解決するために一人ひとりに何ができるか「私」を軸に想像力を広げる他者とつながり、社会を変えていく

2018/01/17
貧困、格差、不平等、災害─など、社会にはさまざまな問題がある。そうした問題を解決するために、働く人・市民一人ひとりはどのような行動を起こすことができるだろうか。中東や東北の被災地などで取材を重ねるフォトジャーナリストの安田菜津紀さんと語り合った。
(左) 安田 菜津紀 (やすだ なつき) 1987年生まれ。studioAFTERMODE所属フォトジャーナリスト。カンボジアを中心に、東南アジア、中東、アフリカなどで貧困や難民の問題を取材。東日本大震災以降は陸前高田市を中心に記録を続ける。「HIVと共に生まれる─ウガンダのエイズ孤児たち」で第8回名取洋之助写真賞受賞。著書に『君とまた、あの場所へ シリア難民の明日』(新潮社)、『それでも、海へ 陸前高田に生きる』(ポプラ社)など。現在、J-WAVE『Jam the WORLD』水曜日ニューススーパーバイザー、TBSテレビ『サンデーモーニング』にコメンテーターとして出演中。 (右) 野田 三七生 (のだ みなお) 情報労連中央執行委員長

伝える仕事を選んだきっかけ

野田今回は、このような取材の機会をいただき、ありがとうございます。情報労連は、震災復興支援や平和運動など、さまざまな社会貢献活動を展開しています。いずれの活動も現地に行って、見て、聞いて、感じる。安田さんが本の中で書かれているように「五感」で感じることが大切だと考えています。

安田さんは、カンボジアやイラクをはじめとして世界の問題に向き合いながら、東日本大震災など国内の問題でも活動を続けられています。今日は、市民一人ひとりが社会的な課題にどのようにかかわれるか、お話を伺いたいと思います。

まず、安田さんが社会問題に携わるようになったきっかけを教えてください。

安田2003年、高校2年生のときに初めてカンボジアに行きました。「国境なき子どもたち」というNGOが、11歳から16歳までの日本の子どもをアジアの国に派遣して、取材するという取り組みの一員でした。

そこで人身売買の被害に遭った同世代の子どもたちに初めて出会いました。そのとき、遠い国の輪郭のぼやっとした問題が、「私とあなた」という身近な関係性の問題に一気に距離が縮まりました。

でも、高校2年生だった私には、状況を変えるためにできることはありませんでした。唯一、何か残されているとすれば、カンボジアで五感で感じたことを一人でも多くの人と分かち合うこと。それが今の仕事の原点になったところはあります。

野田相当のインパクトがあったということですね。

安田そうですね。それまで海外に行ったこともなかったですし、恥ずかしいですけれど勉強不足だったので。だからこそ、見るもの聞くことすべてが衝撃的でした。

野田私もかつて児童労働撲滅スタディーツアーの一員として、タイとカンボジアの国境付近を訪れ、子どもたちと交流しました。現地で人身売買などの話を聞いてショックを受けました。

安田書物を読んで知るのと、目の前の「私とあなた」の関係の中で語られた言葉では、心への刻まれ方が違いますよね。だから、実際に出会った同世代の子たちが、30ドルくらいの値段で取り引きされたとか、売られた先で殴られたり、電気ショックで虐待を受けたりという話を聞いてショックを受けて……。

そうすると、帰国して人身売買という文字を見た時も、具体的な顔が浮かぶんですね。あの子がこう言っていたなとか、あの子と同じ問題だなとか。それで、出会ってきた彼・彼女たちから、分けてもらった経験や言葉に対して何を返せるのだろうと自然と考えるようになりました。

野田フォトジャーナリストという道を選んだきっかけは?

安田日本に帰国して、伝えることをやろうと思ったのですが、何をどう伝えるのか、どうアプローチするかという壁にぶつかって。それで私はすごく図々しい高校生だったんですが(笑)、雑誌社と新聞社に片っ端から電話をかけて、「記事を書かせてほしい」とお願いしました。

二つの雑誌がページを割いてくださって、記事を書きました。どちらも素晴らしい雑誌なのですが、私が伝えたいと思った中学生や高校生の同世代の子たちには、ちょっと堅い雑誌だということに気付いたんですね。

でも、教室でカンボジアの写真を並べてみると、普段は話し掛けてくれないような子まで話し掛けてくれる。写真ってパッと目に入ってきて、まばたきをするパチッというこの一瞬で人の心を引き寄せる力があるんだということを感じ始めたんです。

「置き去りにしない」

野田安田さんの著書の中には「置き去りにしない」という言葉が数多く登場しますね。どのような思いなのでしょうか。

安田私の義理の父と母が、岩手県の陸前高田で暮らしていて、義母が津波の犠牲になって亡くなりました。

陸前高田市は震災後、津波から生き残った「奇跡の一本松」が有名になって、私も現地に入って、夢中でシャッターを切りました。写真は新聞に掲載されて「希望の松」というタイトルが付けられました。私は傷ついていた義理の父にそれを最初に見せたくて、「陸前高田のことが伝えられたよ」と新聞を持っていきました。

すると義父は「あなたのように、7万本の松があった頃に一緒に暮らしていなかった人には、希望の象徴に映るかもしれない。でも、7万本の松と一緒に暮らしてきた人にとっては、たった1本しか残らないほど津波の威力が強かったことを証明するもの以外、何物でもない。見ていて、つらくなるし、できれば見たくない」と言いました。それで、はっとさせられたんですね。

自分が感じていた希望は、誰のための希望だったんだろう。つらい現実を見たくない自分のためじゃなかったのか、と考えました。なぜシャッターを切る前に、その人の声に耳を傾けることをもっと丁寧にしなかったのか、ということですね。

もちろん、被災者の中でも一本松のことを希望と捉える人もいます。でも前向きな言葉は表に出やすいですし、伝わりやすい。つまり、伝えるという仕事を考えたときに自分がどこに軸足を置くかということだと思うんです。「これは希望だね」という声をさらに大きくしていくのか。そういう中でも、いまだに立ち上がることができずに、沈黙の中にある人たちを置き去りにしないのか。義父の言葉を聞いて、伝える仕事の役割は後者にあるんだなと感じたんです。

野田「安易にシャッターを切らない」ことも著書の中で述べていられますね。

安田はい。例えば、仮設住宅を訪ねるときはいきなりシャッターを切るわけではなくてお茶を飲みながら、お話ししたり。大きな新聞社に所属しているわけではないので、その日の締め切りがあるわけでもありません。相手を自分たちのペースに合わせさせるのではなく、相手のペースに自分たちを合わせられるのがフリーランスの強みでもあるので、それを生かして人に向き合いたいと思います。

野田私も震災復興ボランティアで岩手県宮古市に入りました。被害の大きさに心が痛みました。情報労連としては、宮古市をはじめ、大船渡市や宮城県南三陸町、福島県南相馬市などでボランティアを展開し、三陸やまだ漁協と連携して「復興カキオーナー制度」などの取り組みも行ってきました。

中東における日本の役割

野田ところで、安田さんは取材で危険な場所にも行かれます。どのようなことに気を付けていますか?

安田フォトジャーナリストといっても、さまざまなスタンスの人がいます。例えば、紛争の最前線で戦火が飛び交う場面を収めようとする人もいます。私はそうではなくて、自分では声を上げられない人たちのところへ行こうとします。例えば難民キャンプにさえ入れない人たちの声を聞こうとすると、治安状態が悪い場所へ踏み込んでいくことはあります。

そこで最後にモノを言うのは、物理的に防弾チョッキを持っているとかではなく、やはり人間関係なんですね。取材は現地情勢に精通している人と一緒に行動しますが、そこで「今日はあっちに行くと危ないよ」と警告してくれる人と人間関係があるかどうか、それを信頼して守れるかどうかが大切だと思います。

野田2015年にはイスラム国により日本人ジャーナリストの後藤健二さんらが殺害される残忍な事件がありましたが─。

安田私自身は後藤さんと面識がなかったのですが、事件のことはとてもよく覚えています。後藤さんが殺害されたとする映像が流れた翌日が、たまたま「サンデーモーニング」の出演日でした。みんな頭の中が混乱していて、泣いている人もいました。こんな悼むべき日に、自分は言葉を紡がないといけない。でも、言葉を発する機会をいただいているからには、できることをするしかないと受け止めて、現場に行くとはどういうことかをお話ししました。

私はその日の夜にヨルダンに行く予定がもともと入っていました。翌日、ヨルダンの首都アンマンに着くと、日本大使館の前でたくさんの人がろうそくを持って集まっていました。ヨルダンにも、日本に親しみを持っている人たちはたくさんいて、SNSの呼び掛けで100人以上の人たちが、日本の友人のために祈りましょうと集まってくれていました。

それから隣国のシリアに行った時、紛争で避難している人たちからも「残念だったね」と何回も声を掛けてもらいました。シリアの人たちは、友だちや親戚、家族が殺されていない人がいないくらいに殺りくが続き、避難生活を余儀なくされているのに、国境や国籍を超えて、日本人のために祈りを捧げてくれました。

そのとき思ったんです。じゃあ、私たちはこの人たちと同じくらいの強さで、中東の国が平和であるように祈れていただろうかと。ものすごく大きな宿題を託されたような気がしました。

野田中東情勢はとても複雑かつ難題ですが、私たち市民レベルでできることはありますか?

安田日本に対する信頼の高さは、特にシリアの人たちと接して感じています。例えば、アメリカのNGOは難民キャンプに入ると、やはり身構えられるんですね。NGOがたとえアメリカ政府に批判的であっても、シリアに爆弾を落とす当事者だと受け止められてしまうからです。

でも、日本のNGOが支援に入ると変わります。「おお日本か。広島、長崎の国か」。中東では、驚くくらいに「広島、長崎」という言葉が出てきます。傷つけられた国の人たちは、傷つけられた歴史を持っている場所に敏感になるようです。そうすると、日本の支援ならば受けてもいいという風に信頼関係が築かれて、他国のNGOが拾えないようなニーズに気付くこともできると思います。

現地で活動を続けているNGOなどを支えるのも、市民レベルでできることだと思います。

野田ただ、アメリカへの協力や、核兵器禁止条約に反対の姿勢を示すなど、中東の人々のイメージと異なる行動を日本政府が取ることもありますね。

安田確かに、一般の人々には親日の色は濃いですが、政治の動きに敏感な知識層には、はっきり指摘されることもあります。先日も、イラク戦争で日本がアメリカに追従したこと、そのことに対する日本の責任について問われました。核兵器禁止条約のこともそうですが、日本に対する認識がじわじわと変わっていくことはあるかもしれません。

役割を持ち寄るということ

野田“無知”がいかに人を傷つけるか、ということも触れられていますね。

安田カンボジアに初めて行ったとき、同世代の子たちもすぐに仲良くしてくれて、女の子たちと恋愛の話になったんですね。盛り上がって話をしているときに、さっきまで一緒にいた女の子がその輪から外れてぽつんと一人でいました。そのときは、その理由がわかりませんでした。

でも、次の日にソーシャルワーカーの人に、彼女は人身売買の被害に遭って、売春させられていたということを聞きました。彼女は、自分は汚れていると思って、だから男の子に近づいちゃいけない、自由な気持ちで恋愛ができなくなっている。そう言われて、ものすごくショックを受けました。その時、私が人身売買に関する知識があったら、違った配慮ができたかもしれないし、近くにいてあげられたかもしれない。このとき、何のために学ぶのかを初めて実感しました。“無知”であることは差別を生み、人を傷つける要素になるんだと心に刻みました。

私は彼女に対して後ろめたい気持ちでいたのですが、彼女は私が帰国する日に話し掛けてくれました。彼女がボロボロ泣きながら、会話帳を指さして気持ちを伝えてくれました。その言葉が「いつまた来ますか」だったんですね。私は、ああいう風に彼女を傷つけたのに、彼女はまた来ていいと言ってくれた。次来るまでに必ずもっと勉強して、彼女に何かを返せるようになりたいと思いました。誰かを無為のうちに傷つけないために、私たちは学んでいるんだということを私は彼女から教えてもらいました。

野田少し話はずれますが、長崎の高校生たちが核兵器禁止の署名活動を展開しています。彼・彼女たちは「微力だけど無力じゃない」と訴えているんですね。とても共感しますし、さまざまな運動につながることだと思いました。

安田写真で伝えるという仕事は、間接的な仕事なので、シャッターを何枚切っても、目の前のガレキをどかすことはできませんし、病気やけがで苦しむ人を治療することもできません。人の命を直接救えない仕事を選んだことに対するジレンマは、被災地でも中東でもいつも感じています。

例えば、苦しんでいる子どもたちの写真を撮るときに二つの願いを込めてシャッターを切ります。一つ目は、目の前のあなたが一日でも早く元気になりますようにということ。二つ目はこれからあなたと同じような思いをする子たちが現れませんようにということ。

でも、その二つの願いが砕けるたびに、なぜこの仕事を選んだのかと感じます。そのとき現地のNGOの人から声を掛けてもらったのは、「菜津紀さん、これは役割分担なんですよ。自分たちNGO職員には、個々に踏みとどまって人々を支えることができるかもしれない。けれども、ここで何が起こっているのかを世界に知らせるのは、時にはとても難しいことがある。あなたは少なくとも通い続けることはできるし、ここで何が起こっているのかを世界に広めることができる。役割を持ち寄ろうよ」ということでした。葛藤がこれでなくなるわけではありませんが、役割分担という言葉は気持ちにすとんと落ちました。

今日のこういう場も役割分担だと思っています。私が現地から持ち帰ってきたものを皆さんが聞いてくださって、広げてくださる。自分たちが持っている可能性を持ち寄ることで乗り越えられることがあると思うんです。

野田写真を見て、何を想像できるか。そのためにはさまざまな知識を持っていなければいけないのでしょうね。

安田「私」というものを軸にして想像力をいかに広げられるかでしょう。例えば、大好きな家族が紛争でばらばらになるのはどんな気持ちか。「私」を軸に広げていってほしいと思います。

野田東北でのエピソードで「恩送り」という言葉も印象的でした。

安田この言葉は、陸前高田の方たちから学んだ言葉です。震災直後の避難所でおばあさんに呼び止められ、外国のことを教えてほしいと言われました。外はガレキだらけで、食料もままにならない時期だったので、驚いたのですが、話を聞くと「これまでは海外の紛争や災害がずっと人ごとだったんだけど、自分の家が流されて、その人たちの気持ちがちょっとわかった気がする。だから教えてほしい」とおっしゃったんです。

その後、シリアの子どもたちに衣服を送る運動があって、陸前高田の方々が「恩返し」ではなく「恩送り」だとおっしゃっていました。謙虚な気持ちの表れだと思います。これが想像力を働かせ続けることなのだと思いました。

野田今日はさまざまな心に残るメッセージをいただきました。私たちも社会から共感される労働運動を築いていくために、想像力を働かせ、相手の気持ちに立った取り組みを展開していきたいと思います。今後のご活躍を祈念いたします。ありがとうございました。

安田さんの著作(左から)
『君とまた、あの場所へ シリア難民の明日』新潮社 1600円+税
『写真で伝える仕事 世界の子どもたちと向き合って』日本写真企画 926円+税
『ファインダー越しの3.11』(共著・安田菜津紀/佐藤慧/渋谷敦志) 原書房 1500円+税
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