東日本大震災から10年「つながり」を訪ねてカキ生産は復興
震災の経験を伝える側に
三陸やまだ漁協の今
「10年たってやっと落ち着いたという感じだね」
東日本大震災から10年。三陸やまだ漁業協同組合の福士吉彦理事はこの10年を振り返ってこう語る。
三陸やまだ漁協では、東日本大震災で湾内にあった約4000台のカキの養殖施設が全滅した。登録漁船も2138隻のうち、残ったのはわずか548隻だった。
その状態から、翌年には、イカダとはえ縄を合わせて養殖施設を約2000台まで回復させた。その後、震災前の水準とまではいかないものの、生産量なども徐々に回復させてきた。
復興は一筋縄ではいかず、震災後も台風などの自然災害の被害を受けてきた。今年は自然災害がなかったが、「コロナ禍」の影響を受けた。「コロナでカキの需要がなくなるかと思ったが、昨年とほぼ変わらないくらいに需要がある。食べてくれる人がいてくれるだけでありがたい」と福士さんは話す。
山田町の市街地では整備事業が進み、市街と港の間では、防潮堤の建設が続いている。だが、そこには課題もある。「海で商売していると海が見えないのは不安」と福士さんは率直な気持ちを打ち明ける。
「カキの生産は安定しています」と話すのは三陸やまだ漁協の昆隆広さん。ただ、その一方でサケやホタテの漁獲量・生産量の減少が課題となっている。また、生産者の高齢化に伴う後継者不足も課題だ。「漁業が安定した職業になれば若い人も増えてくれるはず。三陸のカキのおいしさを知ってもらって、漁業を盛り上げていきたい」と話す。
ボランティアで生まれたつながり
「震災から10年が経過して社会福祉協議会に求められる役割が変わった」と話すのは、宮古市社会福祉協議会の有原領一さんだ。社協は震災後に災害ボランティアセンターを運営。そのことを通じて社協の認知度が高まり、社協ではその後、生活支援相談や地域包括支援センター、生活困窮者自立支援制度などの事業を担ってきた。「震災を契機に社協が地域の相談窓口として機能するようになった」と有原さんは話す。
災害ボランティアセンターの運営は、新たなつながりも生み出した。連合とのつながりもそうだ。「連合の皆さんは歳末に寄付をしてくれる団体というイメージだったが、ボランティアを通じて、関係が深まった」と有原さんは話す。
そこで生まれたつながりは今も生きている。2016年から社協がはじめた「子ども食堂」には連合の地域協議会のメンバーが毎回のようにボランティアとして参加。連合のシンポジウムに社協のメンバーが参加するなど、交流を深めてきた。
地域の課題は、高齢化や若年層の流出、復興公営住宅での孤立化、子どもの貧困、住民の移動手段の確保など、さまざまにある。また、復興事業が今後、本格的に終了に向かえば、雇用の問題に直面する。こうした課題に対して有原さんは、「住民の参加を促し、住民の力を引き出すことが大切」と訴える。
有原さんは、全国の組合員には次のように伝えたいと話す。
「震災から10年が経過して、私たちの今の姿を伝えることが大切だと考えている。自然災害は毎年のように全国のどこかで起きている。私たちの経験を伝えることで、災害からの復興段階でどのような課題が起きるのかを知ってもらうことができる。その知識を自分たちの地域の取り組みに生かしてほしい」