トピックス2021.01-02

東日本大震災から10年「つながり」を訪ねてつながりがキーワード
「コロナ・ショック」にも
諦めず仲間とともに

2021/01/15
宮城県沿岸北部に位置する南三陸町。情報労連はここで独自ボランティアを展開した。災害ボランティアセンターで連携した南三陸町社会福祉協議会と、復興イベント時に加盟組合が宿泊等で利用する南三陸ホテル観洋で話を聞いた。

住民とのつながりを大切に

「つながりが10年を物語る一つのキーワード」

南三陸町社会福祉協議会の高橋吏佳さんはそう語る。社協は震災後、住民をはじめ、さまざまな人や組織とのつながりを活動の原動力にしてきた。「大切なことは、住民とつながり、その力を引き出すこと」と高橋さんは強調する。

南三陸町は、東日本大震災で住宅の約70%がほぼ全壊。死者・行方不明者は845人に上った。社協は、震災直後から災害ボランティアセンターと被災者生活支援の運営を受託。緊急雇用創出事業では、一時期130人を雇用した。事業が終わると、そこで働いた人たちが自治会の役員や民生委員などになった。そのつながりが現在でも社協が地域活動をする上での「財産」になっている。

2018年4月、社協は住民の交流施設である「結の里」を復興公営住宅に隣接する場所に開設した。そこで重視したのも住民の力を引き出すこと。カフェの運営や運動会などのイベントには、住民が企画段階から主体的に参加している。

高橋さんは、「震災を契機に社会福祉協議会の役割が変わった」と話す。震災前は行政とのつながりがメインだったが、震災後の災害ボランティアや被災者支援活動を通じて、住民や企業、NPOなどとのつながりを深めた。住民からも社協が「顔の見える存在」に変わり、信頼関係の構築につながった。高橋さんは、「今後も住民の皆さんが自分たちで動こうとする気持ちを緩やかにつなげていきたい」と話す。

災害ボランティアでは外部の組織とのつながりも深まった。社協の三浦真悦事務局長は、「震災から10年がたち、ここまでこれたのは皆さんの支援があったから。にぎわった街を皆さんに見せるのが恩返しだと思う」と話す。

「諦めない」ホテル観洋

三陸海岸に立ち、太平洋の絶景が一望できる「南三陸ホテル観洋」。その女将・阿部憲子さんは、「10年経っても復興の途中。震災直後だけが大変なわけではなかった」と話す。

ホテルは津波で一部被災したが、被災者を受け入れ、公的な避難所ではなかったものの避難所の役割を果たした。その後も、取引先の支援のためにレストランを早期に再開。「宿泊産業が動くと取引先のためにもなる。この街の力になるという思いで取り組んできた」と阿部さんは振り返る。

「1000年に一度の災害は1000年に一度の学びの場」と阿部さん。その考えに基づいて、仲間とともに、住民が語り部として被災地を案内する「語り部バス」の取り組みを始めた。これまで延べ39万人が利用する取り組みとなった。2016年からは、語り部の交流経験などを目的にした「全国被災地語り部シンポジウム」を開始。イベントを通じて全国に仲間ができた。「痛い目にあっても、その後にさまざまなご縁をいただいた。貴重な勉強の日々だった」と振り返る。

震災を乗り越えようとする中で「コロナ・ショック」に直面した。地域には一時期の売上がゼロになる宿泊施設もあった。不安を抱く仲間を励まそうと、仲間とともにプレミアム利用券「みやぎお宿エール券」を企画・発行した。1万円分を購入すると、その施設で1万3000円分を利用できる利用券だ。「まずはキャッシュフローの確保が大切」。17施設で1億3000万円分を販売した。

「震災を経験した人たちは肝が据わっている」と阿部さん。「難しいことに向き合うためにはみんなの力を合わせることが大切。あとは諦めないこと」と強調する。東日本大震災という未曽有の災害に直面し、「コロナ・ショック」にも見舞われたが、前向きに歩みを進めている。

南三陸社会福祉協議会の交流施設「結の里」。住民の交流の場となっている
「語り部バス」や「語り部シンポジウム」など震災の記憶を後世に伝える活動を積極的に展開している南三陸ホテル観洋の女将・阿部憲子さん。
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