特集2021.11

「労働時間」問題の現在地
働き方の変化はどう影響するのか
フランスで法制化された「つながらない権利」
日本での導入は可能か?

2021/11/12
2016年、フランスで「つながらない権利」が法制化された。どのような内容の法律なのか。日本で導入する際の課題は何か。識者に聞いた。
細川 良 青山学院大学教授

「つながらない権利」の経緯

フランスにおける「つながらない権利」は、2000年代前半、パリ第一大学のジャン・エマニュエル・レイ教授が、テクノロジーと労働という文脈から提起しました。

フランス社会はプライベートをとても大切にします。私が2013年に訪仏した際、メディアでは、バカンスの最中に仕事のメールを見るかというアンケートが取り上げられていて、3割の人が「見る」と回答していました。メディアはこれを衝撃的な数値と報じていました。そんなに多くの人が見るのかという驚きです。日本だったらまったく逆の反応になるのではないでしょうか。フランス社会がプライベートを大切にすることを示す一つのエピソードです。フランスでは「つながらない権利」は、仕事が私生活の中に入ってくるという文脈から議論され始めました。

さらに、2010年代になると、「つながらない権利」は、プライベートの侵害に加えて、肉体的・精神的な過重労働の文脈でも語られるようになりました。ホワイトカラーや、みなし労働時間制などが適用される「管理職」クラスで働く人が増えた結果、職場を離れても仕事から離れられない人が増え、メンタルヘルスも社会問題化したことで、「つながらない権利」は過重労働問題の文脈からも議論されるようになったのです。

フランスでは2010年代から「労働における苦痛(pénibilité)」への対応が労働政策の大きなトレンドになりました。「つながらない権利」も、そのトレンドに沿う形で、2016年の労働法改革で法制化されました。

法制化された内容

法制化された「つながらない権利」の内容は、(1)まず「つながらない権利」の存在を確認する(2)その上で権利を実現するための方法を労使で協議して協約を締結する(労働組合がない場合は使用者が行動計画を策定する)──というものです。

注意してほしいのは、「何時から何時まで従業員に連絡をしてはいけない」というような一律的なルールを決めたものではないということ。権利を確認した上で、企業ごとでルールを定めてもらうという内容だということです。

そもそも、「つながらない権利」とは、新しくつくられた考え方ではないという点にも注意が必要です。その権利は労働法の中に以前からありました。

それは日本でも同じです。日本の最高裁判所は、労働から完全に解放された時間でなければ休憩時間にはならないとしています。例えば、客待ちや電話番をさせるなど労働からの解放がない場合、その時間は労働時間にあたるとされています。その意味で、会社からのメールには必ず返信しなければいけないとか、返信しなければペナルティーがあるというような場合があれば、その待機時間は理論的には労働時間にあたります。

つまり、「つながらない権利」は現在の労働法の中にすでにあるということです。フランスではその権利を確認し、実効性を担保するための法律がつくられたということです。

権利の担保

フランスでは、義務的に団体交渉をしなければいけない事項が法律で定められています。その中には、協約ができるまで交渉を毎年続けるよう定めた事項もあります。「つながらない権利」は、その義務的団交事項に含まれています。

そのため、労働組合がある職場では「つながらない権利」に関する協約ができるまで毎年交渉を続ける必要があります。労働組合がない場合は、使用者が行動計画のようなものを作成しますが、その場合は従業員代表制を通じて、労働者の意見を聞く必要があります。

では、企業ではどのようなルールが導入されているのでしょうか。

一般的に多いのは、休憩時間や就業時間外には原則として連絡を取らないとか、その時間にメールなどが来ても返信する義務はない──といったことを協約に明記する対応です。何時から何時までは連絡をしない、返さなくてもよいと定める企業もあります。

有給休暇中などに届いたメールを他の担当者に転送する対応は日本でもありますが、そのメールをその人のメールボックスに残さないという対応をする企業もあります。それにより、休暇明けにメールボックスを開いても、休暇中に届いたメールが山積みになっているということがなくなります。「つながらない権利」を担保する方法は企業によってさまざまです。

日本での導入は?

「つながらない権利」は日本でも導入できるでしょうか。

フランスの「つながらない権利」は、企業ごとにルールを定めるものです。日本は企業別労働組合が中心で、企業労使が協議する場面も多いです。その意味で、フランスのような仕組みを導入する基盤はあると言えます。

ただし、日本とフランスでは前提となる文化が異なります。フランス社会はプライベートをとても大切にします。また、契約以外の仕事はやらないという意識も強くあります。

一方、日本では勤務時間外や自分の職務以外でも仕事をする意識が強いため、「つながらない権利」を確認したとしても、それを担保するには、より強い対策が必要になるかもしれません。

また、社内で協約を締結したとしても、社外の取引先や顧客からの要請は断りづらいという課題もあります。その場合、社内のルールを取引先などに積極的にアピールする必要が出てきます。

フランスでは、労働協約は公的な性格を持っているため、産業別の労働協約は官報に掲載されます。また、企業別の協約もウェブで公表することが多いです。このように協約が公表されていれば社外の取引先などにも説明しやすいですが、日本では協約が外部に公表されることはほとんどありません。社内でルールを決めたとしても、社外にどうアピールするかが課題になりそうです。

また、フランスの「労働監督官」には、法律だけではなく、協約の適正な運用を監督する権限があります。企業が協約を守っていなければ、監督する権限が法律で定められています。協約の実効性をどう高めるかも課題になるでしょう。

フランスでは現在、勤務時間内の「つながらない権利」が議論されるようになっています。ITの発達で、「つながりすぎる」状態が生じてしまうことを改善しようとする動きです。

あいまい化する労働時間

テクノロジーの発達で、労働時間とプライベートの時間の区別があいまいになっています。在宅勤務はその動きをさらに加速させています。労働者側からも在宅勤務に一定のニーズはある一方、労働時間とプライベートの時間をどう区分するかが大きな課題になっています。

労働時間管理は労働者の自律性に任せればいいという声もありますが、労働者に裁量があれば過重労働が起きないかといえば、そうではありません。過労死等は実際に起きています。

労働時間とプライベートの時間の区別をさらにあいまいにするのは、本当にいいことなのか。切り分けるとしてどのような方法がいいのか。仮に、労働時間で計るのではないとすれば、労働者の健康を守るために、何を指標にすればいいのか。こうした課題は今後10年、20年の働き方を巡って議論されるような大きなテーマになるのではないでしょうか。

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