安全保障問題に関する
緊急学習会政府に欠ける「戦争回避」の戦略
「敵基地攻撃」で安全になるのか?
高まる戦争の不安
2022年、国際情勢は大きく揺れ動きました。ロシアがウクライナに侵攻したり、台湾を巡りアメリカと中国の軍事的緊張が高まったり、北朝鮮がミサイルを連続して発射したり。私も防衛にまつわる仕事を長い間してきましたが、今ほど戦争が現実的な問題として浮かび上がった時期はなかったと思います。同様に多くの人が戦争の不安を感じ取ったはずです。こうした背景があるため世論も政府の防衛政策の大転換や防衛費の増額を一定程度支持しているのだと思います。
しかし、すべてがその方向に向かっていいのでしょうか。立ち止まって考える必要があります。
戦争の不安を取り除くには大きく二つの方向があります。一つは、戦争が起きることを前提にそれに備えること。もう一つは、戦争を何とか回避しようとすること。政府の政策は前者です。ウクライナの現状を見てわかるように、戦争は、それにいかに備えようとも、始まってしまえば悲惨な状況をもたらします。だからこそ、戦争を始めない、戦争を回避する方法を探らなければなりません。しかし、現在の政府の議論にはそれが欠けています。私たちはもっと戦争について広い視野で考えなければいけません。
改定「安保3文書」への疑問
政府が昨年12月に閣議決定した「安保3文書」のポイントを大きく二つに絞って整理したいと思います。
文書では、日本が守るべき目標は、自由で開かれた秩序であると書かれています。この秩序を脅かす勢力に対抗するため、防衛力を強化する必要があるとされています。
このロジックからは戦争を避けなければいけないという発想は生まれてきません。なぜなら外交とは本来、意見の違う相手との間で妥協点を探るものだからです。同じ価値観の仲間を増やすという外交は、裏を返せば敵をつくる外交でもあります。政府の外交方針に戦争を回避する効果があるのかどうか疑問です。
改定した「安保3文書」のもう一つの基本的なロジックは、今のままでは中国と戦えないという危機感です。そのため5年間で自力で戦える能力を身に付けるとしていますが、現実的に5年で中国に追い付くことは不可能です。
ここで浮かぶ疑問は、その5年間で相手が攻めてこないとなぜ言えるのかということです。相手からすれば日本が防衛体制を整える前に攻めた方が有利になるはずです。政府は、5年の間に相手が攻めてこないと説明できるのであれば、その状態を維持することでより長い期間、戦争を回避できるはずです。
敵基地攻撃能力の矛盾
「安保3文書」では「反撃能力」「敵基地攻撃能力」が焦点の一つになっています。政府の理屈は、「ミサイルは発射されたら撃ち落とせないから、撃つ前にたたく」というものです。しかもそれを専守防衛の範囲内で、日本への攻撃が着手された場合にのみ行うと説明しています。
私にはこの論理がまったく理解できません。なぜならミサイルというのは、発射しない限り行き先がどこかわからないからです。北朝鮮のミサイルの映像を見てわかるように、ミサイルは垂直に発射されます。この時点で標的がどこなのか正確に把握することはできないのです。
さらに政府は相手のミサイル基地をたたくため、数百発のトマホークミサイルを購入するといわれています。トマホークは、ジェットエンジンで飛行する長距離巡航ミサイルです。これでは仮に相手のミサイル発射準備態勢を把握し、トマホークを発射したとしても間に合いません。もっと早い段階で日本が相手基地にミサイルを撃ち込めば、日本の先制攻撃になり、日本の国際的な立場が悪くなるだけです。
もっと重要なのは、相手国にある基地を攻撃すれば、相手も反撃してくるということです。その結果、ミサイルの撃ち合いになれば、敵基地を攻撃することで国民の命を守るという政府の説明とも矛盾します。こうした懸念にもかかわらず、政府は相手国のミサイルの標的をどのように把握するのか説明していません。
このような現状を踏まえれば、国民の命を守るために最も確実な方法は、戦争にしないように、戦争を回避することであると言えます。
戦争の本質とは
今年1月、アメリカのCSISというシンクタンクが、中国が台湾に攻め込む台湾有事をシミュレーションしました。ほとんどのケースでアメリカが勝利するものの、日米数千の兵員を含め、膨大な犠牲が出るという結果になりました。アメリカが勝利するためには、台湾の抵抗や米軍の即時参戦のほか、日本の基地使用が必要だとされています。
台湾有事について米軍の海兵隊の元大佐は、台湾有事が起きれば、破滅的な結果を招き、抑止力は標的にされるとコメントしています。現代の戦争は、国民を巻き込む総力戦にならざるを得ません。つまり、戦争に備えるということは、国民が戦争の被害にどれだけ耐えられるのかが問われるということです。エネルギーや食料の自給率が低く、少子高齢化も進んでいる日本が、本当に戦争に耐えることができるのか疑問です。
戦争では、国家の視点と個人の視点がぶつかります。
昨年、プーチン大統領が戦死した兵士の母親に対して、次のようなことを述べました。
「ロシアでは毎年、交通事故で約3万人が死亡し、アルコールでも同じくらいの人が死んでいる。私たちはいつか死ぬ。それは避けられない。問題はどう生きたかで、あなたの息子は目的を達した。彼の人生は無駄ではなかった」
これは、私が生涯聞いた中でも最も許し難い発言の一つです。国のためになったから国民が死んでもよかったと言っている。国家指導者が、国民の人生の価値を決めているのです。戦争は人間に対する究極の抑圧です。だから私は、戦争を回避しなければならないと思っています。
戦争回避のための方法
では、戦争を回避するとはどのようなことでしょうか。
戦争とは国家が暴力行為によって、その意思や目的を達成しようとする行為です。であるならば、その意思や目的を暴力以外の方法で達成する方法もあるはずです。これが戦争を避けるための基本的な考え方です。
戦争回避には、抑止と安心供与という考え方があります。抑止は「脅し」で相手の意思を抑圧すること、安心供与は相手が戦争に訴えてでも実現したい利益については脅かさないという安心を与えることです。台湾を巡る情勢では、米中台の3者とも戦争を望んでいるわけではありません。3者の利害を見れば、安心供与を行う余地はあります。
日本の安全保障の最大の目的は戦争を回避することであるべきです。日本は、その歴史的な立ち位置からも戦争回避の秩序をつくる国際世論を形成する役割を果たすことができます。
自衛隊員の命と国民の選択
国を守るとは、政治家が国民の命を守ることではありません。国民が命を懸けて国家体制を守ることです。国民が命を懸けてでも守りたいと思えるような国をつくることが、政治家の最も重要な役割だと思います。
戦争が起きたら真っ先に犠牲になるのは自衛隊員です。私は自衛隊員の命を大切にしたい。戦争に行く人たちのために、国民が臆病になることも必要だと思っています。その判断も国民の選択にかかっています。
戦争は政治の選択であり、政治は国民の選択です。勇ましいリーダーは戦争に前のめりかもしれません。その中でも、政府の行動に疑問を投げかけられる人を育てる必要があると思います。