東日本大震災から12年東北を訪ねて
変わる語り部の言葉
「公益社団法人3.11メモリアルネットワーク」は、復興支援の連携活動や震災体験の伝承活動などを展開してきた「3.11みらいサポート」と、任意団体として被災3県の伝承活動を展開してきた「3.11メモリアルネットワーク」が2022年10月に統合して発足した。
「3.11メモリアルネットワーク」は、2021年3月、石巻市にオープンした震災伝承交流施設「MEET門脇」の運営や震災学習プログラムの実施などを手がけている。
理事の藤間千尋さんは、2011年10月に復興ボランティア活動をきっかけに石巻市に移住。それ以降、震災体験の伝承活動に携わってきた。
震災から12年。藤間さんは、語り部の話す内容の変化を感じている。伝承活動を始めた当初は被害状況の説明で精いっぱいの人が多く、避難所での生活が続き生活再建の見通しが立たない中で、行政の対応に怒りを表現する人もいた。
また、震災当日、津波が来るから逃げろと周囲に叫んだが、逃げてもらえなかったという悩みを抱えている語り部もいた。その人は、震災から時間が経過する中で、自分の言うことを信じてもらえなかったのは、自身が地域に信頼されていなかったからだと思うようになった。そこから、「地域の人に信頼されていれば、逃げろという警告を聞いてくれたかもしれない」と考えるようになり、集団移転した新しい地域で地域活動に積極的に携わるようになった。普段から顔の見える関係であれば、いざというときに自分の言葉を信じ、行動してくれるかもしれない。普段の声掛けやあいさつが大切だ。そして、語り部活動の中で「防災は日常の中にある」と話すようになった。
藤間さんは、「多くの語り部は、防災は特別なことではなく、日常生活の中にあると表現し始めている。時間の経過とともに、語り部のメッセージは変わるので、一度聞いた人でも、ぜひもう一度聞いてもらいたい」と話す。
記憶のワクチン
震災学習プログラムの受講者は新型コロナウイルスの影響を受け、一時期大きく減少したが、2022年度はコロナ前の9割に当たる約5000人にまで戻ってきた。さらにコロナ禍で始めたオンラインプログラムの受講者は年間8000人に上り、合計すればコロナ前より学習プログラムを受講する人数は多くなった。藤間さんは「コロナ禍で来たくても来られなかったという人や、小さい頃は来られなかったけれど大学生になったから来たという人もいて、伝承活動にはまだまだニーズがあるのだと感じている」と話す。
こうした背景もあって藤間さんは、「記憶の風化」を実感しているわけではない。しかし、震災のことをずっと忘れないでいるのは難しい。思い出すきっかけをつくることが大切だ。
ある語り部は伝承活動をワクチンに例えた。ワクチンを打った直後は免疫が高まるが、徐々に落ちてくるのでもう一度ワクチンを打つ。震災の記憶もこれと同じで、一度学習をしても日々の生活の中では忘れてしまう。そのため、どこかのタイミングで思い出すきっかけを再度提供する。藤間さんは、そういう仕組みが大切だと考えている。
伝承活動には予算が必要だが、将来の見通しは不透明だ。藤間さんは「伝承活動は、経験や記憶がない世代が増える中で今後ますます大事になると思っています。防災を学ぶなら東北に行くのが当たり前になるように、何が学べるのか私たちもきちんと情報を発信していきたい」と力を込める。
住民のアイデアを形に
南三陸町志津川東地区にある交流施設「結の里」は、「みんなの居場所・ささえあいの拠点」として2018年にオープンした。
「結の里」は、災害公営住宅と防災集団移転地区の中間にある。事前の調査で、この地区の高齢化率は高くなることがわかっていた。そのため専門家から支え合いの拠点となる福祉・交流施設の必要性が指摘されていた。
その後、施設の整備が決まり、南三陸町社会福祉協議会が運営業者に決定した。社協は、施設の建設段階から住民を巻き込んだワークショップを6回開催。この中で生まれたアイデアを形にしていった。
一つ目が、「えんがわカフェ」。日常的に人が集まれる場所がほしいという要望から生まれた。いつでも誰でも気軽に立ち寄れるカフェとして、コーヒー1杯を100円で提供している。社協の高橋吏佳さんは、「一人でも立ち寄れて、普段の悩みも話せる相談所的な役割も担っています」と話す。
二つ目が、「みんな食堂」。月1回、子どもから高齢者まで、地域住民が集まって料理をしたり、持ち寄ったりして食事を楽しむ場だ。
三つ目が、地域のイベント開催。特徴的なイベントは「走らない大運動会」だ。地元の幼稚園の園児から災害公営住宅の高齢者まで幅広い年代の住民が参加できるよう工夫された運動会で、地元の高校生に運営や進行を任せている。
それぞれの活動に住民の実行委員会があり、これとは別に約10人の住民からなる「結の里運営協議会」がある。
顔の見える黒子
新型コロナウイルスの感染拡大は、こうした活動に影響を与えた。「結の里」では、コロナ禍でも何ならできるのかを考え、できることを実行した。大運動会も中止せず、マスクの色でチーム分けをして、「ソーシャルディスタンス・リレー」や「除菌リレー」を行った。「みんな食堂」も、給食センター方式に転換し、限られた人数で調理したものを災害公営住宅に配達したり、テイクアウトできるようにした。その結果、「みんな食堂」の利用者は、コロナ前の50人から250人に増えた。
高橋さんは、「社協や行政がすべて企画するのではなく、住民と一緒に取り組むスタイルが理想」と強調する。「結の里」では、社協はあくまでも「顔の見える黒子」だ。活動の中心を担うのはまずは住民。住民がやりたいことが中心にあって、社協はそのサポート役に徹している。そのため住民の声があれば、できる限りそれを取り入れた活動を実行する。例えば、制服のリユース事業や、「結の里」から離れた場所での「たがい市(フリーマーケット)」の開催もその一つだ。柔軟性と機動力を大切にしながら、住民の声を形にしている。
高橋さんは、「顔合わせのできる場を一つでも多くつくること。住民の皆さんが自由に利用できる選択肢を準備しておくことが大切」と強調する。そのため、月曜日の朝には近隣の農家から野菜を運んできてもらい朝市を開く。土日を挟んだ後の安否確認の意味合いもある。火曜日にはクレープの移動販売、水曜・木曜にはパン、金曜日にはお総菜など、さまざまなイベントが開催される。
見守り活動の重要性
震災から12年が経過し、対応すべき課題も変化している。災害公営住宅ができ、住民の集団移転も進んだ。だが、生活のあり方が震災前に戻ったわけではない。高齢化が進み、一人暮らしの高齢者も増えている。
南三陸町の災害公営住宅には、LSA(ライフ・サポート・アドバイザー)と呼ばれる生活相談員の制度がある。高橋さんは、震災から12年が経過した今でも、「見守り活動は必要」と強調する。むしろ、活動を継続する必要性を訴える。「震災前と同じようには戻れません。何もせずにいたら孤立化することは目に見えています。自治の力だけで何とかするのは難しく、今後の体制について行政とも協働し、新たな方法を見いだしていく必要がある」と強調する。
高橋さんは、「結の里」での活動などを通じて、社協の活動が住民から「見える」ようになったと話す。「住民の皆さんの話を聴いて、一つでも二つでもそれを実現していく。すると住民の皆さんも活動に愛着が湧いてきます。社協の仕事は、住民の皆さんの心に寄り添う仕事。人の話を聞いてそれを形にすること。住民の皆さんに社協の仕事が見えるようにし、認めてもらうような活動をしていきたい」。
震災前から減った人口
福島県南相馬市小高区は、原発事故の影響で震災後5年4カ月にわたって避難生活を余儀なくされた。
避難指示解除準備区域の指定が解除されたのは2016年7月。震災前の小高区の人口は約1万2800人だったが、現在はおよそ3800人。南相馬市社会福祉協議会・小高区福祉サービスセンターの鈴木敦子さんは、「2年ほど前からこの数値はあまり変わっていません。人口は震災前の3割程度になっているのが現実です」と話す。
人口が思うように戻らない背景には、避難生活の長期化がある。学校や仕事など避難先での生活が定着し、転居のハードルが高くなっている。鈴木さんは、「人があまり戻ってきていないことも二の足を踏む理由になっているのでは」と捉えている。
生活インフラに関しては、スーパーが1カ所、病院に併設する調剤薬局が2カ所できた。ただ、ドラッグストアがないため誘致を求める声が多い。このほか要望が多いのは交通インフラだ。高齢を理由に免許を返納する人もいる。そのため市は、500円で隣の原町区まで往復できるワゴンタクシーを運行しているが、本数が少ないため、思うように利用されていない。その結果、費用は割高だが、一般のタクシーで買い物をする高齢者もいる。
小高区の現在の人口の約半数は、65歳以上の高齢者だ。そのため高齢者の孤立化対策は重要な課題となっている。高齢者の孤立を防ぐための生活支援相談員の事業は、数年前に終わるはずだったが、現在でも継続している。鈴木さんは、「生活支援相談員事業は、復興事業として重要。以前より相談員の数は減っているが、続ける必要がある」と話す。
新たな活力を創造
コロナ禍では、住民が集まるイベントの開催が難しくなった。社協が実施してきた交流イベントもコロナの影響で中止。住民の集まりをサポートする「サロン」も中止や規模の縮小を余儀なくされてきた。しかし、感染状況が落ち着いてきたこともあり、区役所には住民同士が集まるイベントがなくて寂しいという声が寄せられるようになり、今年度から開催されることになった。
また、南相馬市は今年度から、社協に委託して生活支援コーディネーターという新たな役職を配置している。交流事業などを行うために地域の個人や団体などをつなぐ役割を果たす。
さらに市では、移住定住促進にも力を入れている。「おだかぐらしプロモーション事業」では、「おだかる」というサイトを開設し、小高区に移住して起業した人たちの暮らしぶりなどを紹介している。市では、創業に必要な資金を最大600万円助成する「創業者支援事業助成金」や、地域の課題解決を目的とした社会的起業に最大200万円を補助する「地域課題解決型起業支援事業補助金」などを用意し、起業支援などを行っている。
加えて、幼児教育・保育の無償化や学校給食費の保護者負担軽減などの子育て支援にも力を入れている。こうしたこともあり、南相馬市は、雑誌が特集した「2023年版 住みたい田舎ベストランキング」で、東北エリアランキング「子育て世代部門」第2位(福島県内第1位)に選ばれるなど、新たな魅力を生み出している(宝島社『田舎暮らしの本』、2023年2月号)。
避難指示解除準備区域の解除からまもなく7年。前出の鈴木さんは、「情報労連の皆さんには震災後にたくさん足を運んでもらって、たくさん汗を流してもらいました。そのおかげで小高は人が暮らせる街になった。もし小高に再び来てもらえたら、私たちが気付かない小高の魅力を発信してくれたらうれしいです」と話す。同じく社会福祉協議会の青田敏さんは、「震災前には戻れないので、新しい小高として発展していくことが大事」と話す。新たな魅力を発信する小高区をぜひ訪れてほしい。
安藤 京一 情報労連中央執行委員長
自律とサポートのバランスが課題に
住民自治は私たち全体の課題
3月27〜28日にかけて、12年が経過した被災地の現状を実際目で見て、これまで関係した人たちの話を聞き、「復興とは」「何がこれから必要なのか」「被災地の想い」などを伝えたいと思い、宮城県石巻市と南三陸町、福島県南相馬市を訪ねた。
12年の月日は、地域の濃淡はあるものの、被災地の景観を変えていた。再建が確実に進み、復興の進展を感じた。被災した地域には遺構やメモリアル施設がつくられ、震災の記憶を忘れることなく伝え続け、訪れる人に防災の重要性を呼び掛けている。
3地域とも共通して訴えていたのは、住民同士のコミュニティーづくりである。国や行政の助成が減っていく中で、自立とサポートのバランスをつくっていくことが今こそ重要な課題であると訴えていた。
背景に、人口減少、高齢化、高齢者一人世帯など、全国共通の課題があり、福祉のあり方が問われていると感じた。「復興とは、何をもって復興というのか」難しい問題が提起されている。
南海トラフ地震をはじめ、大地震が各地で警戒されている。国・自治体をはじめ、すべての組織と人が防災を怠ることはできない。命を守り、安心して暮らしていくためには、何が必要で何をしていかなければならないのか、深く考えさせられた。公益社団法人3.11メモリアルネットワークの藤間千尋さんは、「長く見続けることが重要」「日常の中に防災がある」と言われていた。現状を表す実に言い得て妙の言葉である。12年たった被災地は、まだ、多くの課題があり、その試みは、私たち全体の課題でもある。