トピックス2023.08-09

政治の争点は
どこに?
政治の争点が見えづらいのはなぜか?
背景にある政治「体制」の変化とは

2023/08/16
「岸田首相は何をしたいのかわからない」「政治の争点が見えづらい」と言われるのはなぜか。背景には政治の「体制」変化があるのではないか。視野を広げて政治を捉える。
中野 晃一 上智大学教授

争点が見えづらい政治の背景

「岸田首相は、何をしたいのかわからない」「政治の争点が見えづらい」という指摘があります。政治の争点が見えづらいのはなぜでしょうか。私は、岸田首相個人の問題ではなく、政治体制の変化が背景にあると考えています。

政治を語る際の言葉として、「内閣」「政権」「体制」という三つの言葉があります。

内閣は、狭い意味では首相と閣僚のことを指します。広い意味では行政府です。

政権は、内閣より大きな概念で、行政に加えて政権与党(立法府)を含みます。

体制は、政権よりも大きな概念で、立法府に加え、司法や財界、メディアなど統治レジーム全体を指します。いわゆる「55年体制」は、自民党一党優位支配の下で、自民党と官僚が蜜月関係にあり、経済的には「護送船団方式」と呼ばれる企業や銀行とのつながりがありました。それらがセットになって、一つの体制をつくり出していました。

このように政治を語る際には、「内閣」<「政権」<「体制」の三つのレベルの言葉があります。これらの関係の変化が、政治の争点が見えづらい背景にあると考えています。

政治「体制」の変化

「55年体制」下のメディアでは、「田中内閣」「竹下内閣」「海部内閣」のように内閣という言葉が多く使われました。当時の首相は、与党を意のままに操ることができず、与党と対立すれば交代することもありました。政権は変わらなくても、内閣は変わるので、内閣という言葉が多く使われました。

1993年に細川連立政権が発足すると、「55年体制」が終わります。それに伴い、メディアで使われる言葉も変わります。内閣という言葉が使われることが少なくなり、「細川政権」や「自社さ連立政権」「民主党政権」のように政権という言葉が多く使われるようになります。

背景には二つの要因があります。一つは、政権の枠組みが自民党だけではなくなり、政権交代が起きるようになったこと。もう一つは、行政改革や小選挙区制度の導入などで権力の集中が進み、首相が与党も含めてコントロールできるようになったことです。つまり、「55年体制」における内閣と与党との関係が変わり、内閣が与党も含めた政権をコントロールできるようになったといえます。

「2012年体制」の出現

こうした変化を踏まえ、私は2012年の第2次安倍政権以降、「2012年体制」と呼べるような体制の転換が起きたと考えています。すなわち、民主党が分裂して与党に対抗できる野党がいなくなったことで、新しい「体制」が生まれたということです。

こうした体制の下では、選挙を何度繰り返しても自民党が勝つことになります。その結果、それまで進んできた権力の集中と相まって、「一強支配」がさらに強まり、体制が内閣や政権を支配するようになります。

そのため、一つの内閣や政権は、独自性を発揮しづらくなります。一つの体制が生まれるということは、体制が変わらない限り、その流れが続くことを意味しています。例えば、安倍内閣から菅内閣に代わり、岸田内閣に代わっても政策に大きな変化がなく、前内閣の課題を踏襲しているのは、そのためです。

一つの内閣や政権の意向であれば反対の余地はあるかもしれないけれど、体制として政治が決められてしまっていると反対しづらくなり、争点にならないまま通過してしまう。これが政治の争点が見えづらい背景だと考えています。

異論を排除する体制

「2012年体制」の政策的な特徴は、戦後レジームからの脱却=戦争のできる国へと変えるところにあります。その背景には、この体制が生まれた際の政権が、安倍政権だったことがあります。

この体制の特徴は、異論を排除し、封殺するところにもあります。先の通常国会で岸田首相が解散権をちらつかせたのは、その典型例でした。岸田首相の周辺は、野党が内閣不信任案を提出したら衆院解散の大義になると言いましたが、そんなことはありません。内閣不信任案が可決されたら、総辞職するか衆院を解散するかというのが、憲法上の定めです。そもそも議会の構成上、不信任案が可決される可能性はまずありません。その中で、野党が不信任案を出しただけで解散をちらつかせるというのは、政権と野党にそれだけの力の差が生じていることを意味しています。これは、選挙が、有権者が政権を選ぶ道具ではなく、政権が野党を懲らしめるための道具に変わっていることを意味します。こうした状態は、「55年体制」に並ぶ新たな体制の創出だといえます。

「55年体制」と「2012年体制」は、一党優位支配という点では同じですが、違いもあります。「55年体制」では、護憲・革新勢力が衆参の3分の1を維持していましたが、「2012年体制」ではそれが失われ、改憲勢力が3分の2を確保するようになりました。

また、権力の集中が進み「一強支配」が強まったことで、それまで中立性・独立性を一定程度保ってきた組織や機関に対する党派的な支配が強まりました。例えば、内閣法制局や日本学術会議、NHKなどの人事への介入などがそれに当たります。

このように憲法や国会のたがが効かなくなり、メディアもその手法を特に問題としないのが、「2012年体制」の特徴だといえるでしょう。

政治の争点はどこに?

「2012年体制」下における政治の争点とは、この体制自体に対抗していくことだと考えています。その対抗の軸は憲法13条にあります。憲法13条は、すべての国民が個人として尊重され、生命や自由、幸福追求に対する権利を最大限尊重すると定めています。一方、「2012年体制」の方向性は、個人よりも国家を優先し、国防のために防衛費を大幅に増やそうとするものです。個人の暮らしや命を支えるのか、国家を優先する発想から防衛費を増やすのか。これが政治の最大の争点になると考えています。

体制とは、一党優位制だけを意味するわけではありません。多党制を前提とした穏健な政治体制も存在します。そもそも日本国憲法は、比例的な選挙制度に基づく多党制の中でより穏健な政治運営がされるように設計されています。そうした中で、小選挙区制度をベースにして絶対得票数が少なくても勝者総取りができてしまう制度を導入するから無理が生じ、憲法や国会をないがしろにした超憲法的な運営が行われてしまうといえます。体制の転換のためには選挙制度の見直しも必要になるでしょう。

しかし、野党がばらばらの現状では、この体制はしばらく続くでしょう。現状において政権を獲得しようとすれば他の政党と組まざるを得ないのが現実です。イギリスは、二大政党制の国といわれますが、議会構成を見れば、保守党・労働党以外にも政党が存在することがわかります。日本も同じです。二大政党制をめざすといっても、どこかの党と組まないと政権を獲得することはできないのが現実なのです。

国家の目的のために行われる政治なのか、一人ひとりが個人として尊重される政治なのか。大きな枠組みの中で協力関係をつくっていく必要があります。

政治の争点が見えづらいといわれる一方、環境やジェンダー、LGBT、外国人の人権など、個別の課題で若い人も含め多くの人たちが声を上げています。そうした声をつなげて、現状の体制に対抗する共通認識を育て、連携を強化することが大切です。

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