特集2024.04

歴史と運動から学ぶ
労働組合はなぜ必要なのか
労働組合はなぜ必要なのか
ウェッブ夫妻の思想から学ぶ

2024/04/10
19世紀末のイギリスで、労働組合の機能を体系的にまとめたウェッブ夫妻。2人は労働組合の存在意義をどう捉えたのだろうか。労働組合発祥の地の思想から労働組合の必要性を学ぶ。
江里口 拓 西南学院大学教授

19世紀末のイギリス

ウェッブ夫妻が『労働組合運動の歴史』や『産業民主制論』をまとめた19世紀末のイギリスは、「経済衰退」と「格差」という二つの課題に直面していました。

当時のイギリス経済は、絶対的には成長していたものの、相対的にはドイツやアメリカの追い上げで輸出シェアを失い、それまでの「世界の工場」としての立場を失いつつありました。

その一方、イギリス社会では「格差」が広がっていました。経済的自由主義者は、富裕層が豊かになれば、その富が貧困層にまで行き渡るという「トリクル・ダウン」が起きると楽観的でしたが、現実にはその言葉とは裏腹に「格差」の拡大が起きていました。移民を中心とした不熟練労働者は使い捨てられ、路地裏に取り残されていました。こうした中、ウェッブ夫妻は、「経済衰退」と「格差」の両方に着目し、その根底に労働問題があると見抜いていました。

当時の主流派経済学では、労働力も資本の一つであるという考え方が徐々に広がっていました。経済的自由主義の考え方からすれば、高度な熟練が形成されれば企業のメリットになるのだから、企業はそれに自ら取り組むということになります。しかし、現実的には目先の利益を追い求め、不熟練労働者を使い捨てにする経営者が後を絶ちませんでした。

ウェッブ夫妻はこのことを批判し、労働組合の必要性を説きました。つまり、労働組合が労働条件の引き上げを求めないと熟練は形成されない、人的資本は形成されないというのがウェッブ夫妻の主張でした。

ここでいう労働組合による労働条件の引き上げとは、仕事の単価の設定のことです。当時の経営者は、単価の設定や勤務評定をとてもざっくり行っていました。それに対し、当時のイギリスの労働組合は単価の設定に積極的に介入しました。一つひとつの仕事に単価を設定し、複雑な単価表をつくり、それを経営者に守らせようとしたのです。このことは、仕事における最低限の単価を取り決め、それ以下の単価では働かないという労働者たちの戦略の表れでした。このようにして労働組合が最低限以下の単価では働かないルールを定めることで、経営者は労働条件を引き下げること以外で競争するしか方法がなくなり、その結果、人的資本の形成が促進されるようになる、というのがウェッブ夫妻の考え方でした。

ウェッブ夫妻(写真:Wikipedia)

漸進主義的な福祉国家を構想

興味深いのは、当時の労働者たちは、最低限の単価も支払えないような企業はつぶれても構わないと考えていたことです。そのために産業別労働組合は、失業手当を管理し、最低単価を払えない企業で働いていた労働者の失業中の生活を保障し、職業紹介で次の仕事を紹介するということを行っていました。こうすることで労働者は高い賃金の職場に移動することができ、熟練の形成にも意欲的になります。

ウェッブ夫妻は、当時の労働組合が実践していたこうした取り組みの効果を発見し、体系化してまとめた上で、労働組合の存在が経済成長には不可欠だと訴えました。

実際、ウェッブ夫妻は、マンチェスターにおける綿工業の発展は、労働組合の経済効果が背景にあったと説明します。労働組合による産業統一交渉が、熟練労働者への高賃金の支払いや、技術革新につながったと述べています。このようにウェッブ夫妻の考え方は、経営者以上に社会全体の発展を見通したものでした。

さらにウェッブ夫妻は、産業別の統一交渉で賃金などの最低労働基準を全国的に定め、そうした基準をクリアできない企業は市場から淘汰されても構わないと訴えました。そのために労働移動のための失業保険や職業訓練といった政府の政策の必要性も訴えました。

また、ウェッブ夫妻は、LSE(ロンドン政治経済大学)を設立し、会計学、地政学などの実学を奨励し、高度人材育成にも尽力しました。

ウェッブ夫妻は、労働組合を人的資本形成へのインセンティブを生み出し、労働条件の引き下げ競争によらない技術革新を促す機能として捉え、それによって国を発展させる展望を持っていました。こうしてウェッブ夫妻は、マルクス主義の革命路線とは一線を画した漸進主義的な福祉国家を追求していきました。

スウェーデンへ伝播した思想

ウェッブ夫妻のこうした考え方は、現代では「社会的投資国家」と呼べるものです。その考え方は、母国イギリスよりも北欧のスウェーデンで開花しました。

スウェーデンでは、「連帯的賃金」に基づき、賃金水準を引き上げ、それを払えない生産性の低い企業を市場から淘汰する一方で、失業する労働者に対してお金をかけて再教育をし、生産性の高い産業へ移動させていく「積極的労働市場政策」が採られてきました。この考え方の根源にはウェッブ夫妻の思想があることが近年わかりました。

こうした人的資本を最重視する考え方は、人材以外に頼るべきものがない「小国」にふさわしい考え方です。19世紀末のイギリスは、満身(そう)()ながらも「大国意識」が残っていました。これに対して、そうした資源のない国は、教育をはじめ人材に投資するよりほかありません。だからこそ、ウェッブ夫妻の考え方は、イギリスよりもスウェーデンで浸透したのだと思います。

日本ではどうか?

日本に当てはめるとどうでしょうか。国際競争力が相対的に低下し、人的資本が軽視されているという点において、ウェッブ夫妻の生きた当時のイギリスと現代の日本には共通するところがあります。実際、日本の賃金は長年にわたり停滞し、労働市場は非正規雇用の拡大に見られるように質より安さを重視してきました。

ウェッブ夫妻の議論を日本に当てはめると、中小企業問題に行き着きます。ウェッブ夫妻は最低基準を支払えない企業は、積極的に淘汰すべきとする一方で、その事業は優良企業や大企業が引き継げばよいと考えていました。

今の日本の労働運動には現代に即した新しい政治・経済の理論が欠如しているように感じます。ウェッブ夫妻の思想は、欧米の社会民主主義派からは高い評価を得ていますが、日本ではほとんど知られていません。むしろ、マルクス主義的な左派からは体制派として批判されてきました。しかし、ウェッブ夫妻の思想は、非常に現代的であり、民主主義や現代経済学とも親和的です。これからの日本の中道左派の支柱になり得る思想だと考えています。

今後、デフレからインフレの時代になれば、「カネ」よりも、「ヒト」や「モノ」の価値が上がっていきます。その際、「カネ」から「ヒト」への流れを促すことができるのは労働組合のほかありません。

労働組合は、組合員の生活の向上だけではなく、日本経済全体の復活というより大きな循環を促す役割も担っています。「経済発展のためには、労働組合が不可欠である。日本経済がうまくいかないのは,労働組合という重要な機能を軽視してきたからだ」と胸を張って言える社会が到来することをウェッブ夫妻も願っているかもしれません。

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