特集2017.07

「悪質クレーム」と向き合う過剰なサービスを背景とした働き過ぎからどう脱却する?仕事範囲に社会的合意を

2017/07/21
働き過ぎの背景に、日本の過剰なサービス競争はないか?「おもてなし」と「働き過ぎ」について、社会学的な観点から考えてみる。
阿部 真大 (あべ まさひろ) 甲南大学准教授
専門は労働社会学、家族社会学、社会調査論。著書に『搾取される若者たち ―バイク便ライダーは見た!』(集英社)、『居場所の社会学 ―生きづらさを超えて』(日本経済新聞出版社)、『働きすぎる若者たち―「自分探し」の果てに』(生活人新書)など。

「お客さまは神様」の問題点

海外旅行に出かけたら店員の接客態度が素っ気ないと感じたことはありませんか。帰国すると日本のサービスは良いと感じるかもしれません。ただ、これは消費者にとってはうれしいことかもしれませんが、労働者にとっては労働強化につながる切実な問題かもしれません。働き過ぎと過剰サービスの背景には、「レッドオーシャン」と呼ばれる、血で血を洗うサービス競争があります。苛烈なサービス競争が働き方を悪化させています。

見方を変えてみましょう。客が労働者に求めるサービスに際限はありません。客は、適切な歯止めがなければ、どこまでも自分の要望を労働者に求めようとするからです。

例を挙げてみます。介護の現場にフィールドワークに入った時のことです。ある介護従事者は「介護の仕事は蟻地獄」と言いました。利用者の求めるサービスが次から次へと出てきて、それに応えていくと仕事の幅はどんどん広がっていく。「仕事の範囲を決めてほしい」。こういう声を介護従事者からよく聞きました。

「お客さまは神様」の問題はここにあります。サービス内容に限界がなく、言われたことに何でも対応しないといけない。これが働き過ぎにつながっています。過剰なサービスに歯止めをかけるためには、仕事の範囲に対する社会的な合意が必要です。

仕事の範囲を限定する

では、仕事の範囲に対する社会的合意をつくるには、どうすべきでしょうか。一つには、サービス競争に歯止めをかける方法があります。例えば、同業種の店舗の乱立を防ぐための距離規制や、労働法の順守のように、いわば外側から規制をかけていく方法です。

もう一つは、仕事内容そのものに形を与えていく方法です。つまり、「この仕事の範囲はここまでだ」という社会的合意を形成していくということです。無限に膨張する仕事の範囲に対して、社会的合意によって内側から歯止めをかけるということです。

例えば、海外で外食チェーン店に行くと、ウエイターが無愛想に食べ物をテーブルに置いてくる。これは、ウエイターの仕事の範囲は、客に食事を提供することで、それ以上のことではないということを意味しています。つまり、ウエイターに関する職業の社会的役割の合意があるということです。日本は、この社会的合意が崩れてしまって、労働者はどこまでも客にサービスを提供し続けなければいけなくなっています。

こうした無制限の働き方に関して、経営者が職務の範囲を書き出すことは今でもある程度可能でしょう。しかし、一つの企業が職務範囲を限定したとしても、サービス競争が続けば、職務を追加していかざるを得ません。そのため、職業の社会的役割の合意が求められるのです。

連帯の実現

私は、「お客さまファースト」から「社会ファースト」への移行が大切だと考えています。お客さまを中心に仕事の範囲を考えるのではなく、社会の中でその仕事がなぜ必要なのかという点から演繹的に職業の社会的役割を導き出すということです。

社会学的な観点でお話しします。社会学者の尾高邦雄は、『職業社会学』の中で、職業の役割を三つに分類しました。一つ目は、生計の維持。二つ目は、個性の発揮。三つ目は、連帯の実現です。

二つ目の個性の発揮とは、仕事を通じて自分のやりたいことに取り組み、承認欲求を得ることです。三つ目の連帯の実現とは、社会の中で役に立っているという感覚を得ることで、社会の一員としての喜びを得ることです。

私は、現在の日本では二つ目の個性の発揮が突出していて、三つ目の連帯の実現が弱くなっていると考えています。介護現場の事例から説明するとこうなります。例えば、利用者から「ありがとう」と言われて労働者が喜ぶ。これは承認される喜びを得るという意味で、個性の発揮に当たります。

ところが、この利用者と労働者の関係が、過剰サービスの問題とつながっています。問題は、そこには利用者と労働者という閉じた関係しかないということです。こうなると、利用者は「喜びを与えるために、何でもやってほしい」、労働者は「喜ばせるためになんでもやる」という関係になり、いわば「共依存関係」が生まれます。私はこの状態をサブカルチャー分野にちなんで「セカイ系の職場」と呼んでいます。「セカイ系の職場」では、利用者と労働者の関係がプライベートなものになり、サービスが過剰になってしまうのです。

ここに欠けているのは、三つ目の連帯の実現という視点です。連帯の実現とは、社会の中でその仕事がどういう役割を担っているかを考えるということです。

『ブリッジ・オブ・スパイ』という弁護士が主人公の映画があります。映画の中でトム・ハンクス演じる主人公の弁護士ジェームズ・ドノヴァン(実在の人物)は、クライアントの満足度をやりがいの基準にするのではなく、弁護士という職業がアメリカ社会を維持するために必要だからこそ、その仕事に喜びを感じています。ここに、個性の発揮と連帯の実現の違いがあります。連帯の実現において職業は、社会全体を見渡して、社会の中でその職業がどのような役割を発揮すべきかという点から、演繹的に導かれるのです。利用者と労働者の関係は、「セカイ系」という閉じた関係ではなく、社会の視点が入り込んだ「シャカイ系」とでも呼ぶべき開かれた関係になります。

「役割距離」が大切

「セカイ系」から「シャカイ系」へ移っていく上で、私がポイントになりそうだと考えているのは、「職場におけるユーモア」です。

アメリカの職場でユーモアはとても大切にされます。ハリウッドのヒーロー映画で、主人公たちが敵と戦っている最中でも冗談を言い合うシーンって何となくイメージできますよね。こうしたユーモアの用い方は、アメリカにおける職業観としては一般的なものです。

アーヴィング・ゴフマンという社会学者は、「役割距離」が大切だと言います。「役割距離」とは、自分の役割に埋没せず、それと距離を取ることです。例えば、ゴフマンは、手術の最中に冗談を言う外科医の例を挙げています。

翻って、日本の職場です。「セカイ系」の職場では、労働者は役割に埋没しているわけです。職場から一歩引いて、相対的に自分の役割を考えること、仕事の相対化ができていません。日本の職場にはユーモアが少ない。それはその仕事に埋没し、「役割距離」を適切に取れていないということです。

自分の仕事を相対化するために、労働組合が果たす役割は大きいと思います。労働組合は、社会の視点から自分の仕事を見る機会を提供するからです。

また、職業の社会的役割に形を与えるのも労働組合の役割の一つです。「私たちの仕事はここまでだ」という職人的伝統に基づいた労働者の強さが欧州にはあります。消費者が強くなり過ぎると働く側の立場が弱くなります。労働者の地位をもう一度上げていくことから、物語を再度紡いでいく必要があると思います。

特集 2017.07「悪質クレーム」と向き合う
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