特集2020.06

新型コロナウイルスと労働関連問題危機に弱い日本社会
セーフティーネットを張り直す議論を

2020/06/12
「コロナ危機」で日本の社会保障の弱さが浮かび上がった。危機に強い社会保障のあり方と今後の財政の方向性などについて聞いた。
井手 英策 慶應義塾大学教授

──今回の問題で、日本の社会保障システムのどのような欠点が見えてきたでしょうか。

多くの国民は支援が届くまで時間が掛かりすぎることに不満を抱いています。そう感じるのも当然です。日本は社会保障のプラットフォームが貧弱過ぎます。

例えば、スウェーデンには育児や感染を回避するための休業所得を補償する制度が以前からありました。フランスでは、失業給付が切れた後のセーフティーネットがありますし、日本以外の国には住宅手当があります。既存の制度に上積みすればいいから迅速に対応できたのです。

あるいは、議論が分かれるでしょうが、アメリカには「ソーシャル・セキュリティー・ナンバー」があり、所得と銀行口座の情報がひも付けられています。ですから、所得審査の必要な給付でも政府は迅速に対応できました。日本のスピード感のなさを批判するのであれば、「マイナンバー」と口座のひも付けを進める手だても議論すべきではないでしょうか。

プラットフォームがあるかどうかで危機に直面した際の危機の深さが変わります。その意味で、日本は十分なセーフティーネットを整備してこなかった、危機に弱い社会だと言えるでしょう。

──政府の支援策に対する評価は?

政府は減収世帯への30万円給付をやめ、各人一律10万円の給付を決めました。30万円給付には「審査に時間が掛かる」「社会を分断する」などの批判が上がりました。ただ、僕は一律10万円給付に批判的です。

僕はこれまで、みんなを受益者にする「普遍主義」を掲げてきました。でも、それは「サービス給付」についてであり、「現金給付」についてではありません。今回の一律給付では、僕の理論が誤解された形でしばしば引用されました。

批判はこうです。もし、年収300万円未満世帯に30万円を給付したとすると、300万円以上の世帯との間に分断が生まれる、と。でも、いま起きているのは、職を失い、生きるか死ぬかという危機におびえる人が多数生まれた事態です。明日をも知れぬ世帯への給付を減らしてまで、中高所得層にまで現金を配る必要があるのでしょうか。困っている人を犠牲にし、自分の利益を優先する社会でよいのでしょうか。給付スピードにしても、一律にしても、結局、時間は掛かっています。

国と地方の責任を分けるという発想がないから混乱が生まれます。国は憲法25条に基づいて生存保障を行う一方、地方はその土台の上で生活や暮らしの保障を行う。だから、国は生存に困る人に限定して現金給付を行い、地方自治体では痛みを分かち合うため、フラットな税率の住民税を薄く広く課し、サービス給付は所得制限をつけずにすべての人に行う。ただ、今の住民税の超過課税では自治体ごとにばらつきが出ます。だから、税率がフラットでみんなが負担者となる消費税を柱に据えるよう主張してきました。

つまり、僕の理論からするならば、必要だったのは、国による徹底的な生存保障、つまり、困っている人に限定して手厚い現金給付を行うことなのです。所得制限を多少ゆるくして、世帯年収が400万円でもよかったでしょう。払いすぎ世帯には、最後に年末調整で帳尻をあわせればいい。そこは政治の決断です。

企業に対する保障も同じです。まずは生存保障。弱い立場にある中小企業に対して、国が融資や助成金などで生存保障をする。地方自治体によって「協力金」などに差が出るのは、おかしな話です。国が責任を持って行うべきことです。

──危機に強い社会になるには?

短期的には財政を気にしている場合ではありません。人の命にかかわる状況なので、生存保障を徹底的に行うべきです。

一方、ウイルスに限らず、経済危機は周期的に起こります。中・長期的には、これから限られた時間の中でセーフティーネットのプラットフォームを構築しなければいけません。今回の危機対応としては、生存保障を真っ先に行い、ポストコロナ段階に、子育て、介護などの生活保障やマイナンバーのようなプラットフォームを整えていく。そうした分厚いセーフティーネットがあってこそ、危機に強い社会になれます。

軽減税率も今回の一律給付も僕は反対ですが、一律給付でみんなを受益者にするという「普遍主義」が国民から広く支持された経験は大事にしてほしいです。この経験を現金だけではなく、医療や介護、教育などのサービス面での生活保障に進化させてほしいと思います。

──赤字国債も増えました。今後の財政の見通しはどうなるでしょうか。

国の役割を生存保障だと考えれば、国税は、富裕層に重くかけてよいはずです。つまり、法人税と所得税の増税に取り組むべきです。僕なら「社会連帯税」をつくります。大企業や富裕層に税をかけて、中小企業や生活に困っている人たちに再分配する。今こそ「金持ち増税」です。復興税のような時限税でもいいかもしれません。いずれにせよ国の借金を少しでも減らす取り組みが必要です。その上で、将来、生活保障を整えるにあたっては、住民税や消費税の増税に取り組んでいくべきです。

──国の借金はいくらでも増やしていいという「MMT」論も盛んです。

「MMT(現代貨幣理論)」の支持者は、政府がいくら借金しても財政は破綻しないと言います。しかし、財政のデフォルトは起こらなくても、ハイパーインフレは起こります。「MMT」の支持者は、インフレが起きたら増税すればいいと訴えますが、「MMT」は、あくまで財政が破綻しないことを理論付けるものでしかありません。債務や通貨を増やしても財政がデフォルトしないという議論と経済が破綻してインフレが起きたら増税すればいいという議論は、理論的に一貫していません。

理屈に沿えば、将来の国民はインフレと増税を押し付けられます。今の僕たちが野放図な財政出動をしたことで生じたツケを、現在の意思決定に参加していないにもかかわらず払わされる理屈です。道義的な問題に加え、そもそも将来の国民が、尻拭いの増税を受け入れる保障がどこにあるでしょうか。財政には「会計年度独立の原則」「単年度主義」という原則があります。未来の人たちの意思決定を邪魔してはならない。これは財政学的にはイロハのイです。

財政には、まず税で財源を集めるという大前提があります。借金をし過ぎれば、税負担が増えます。だから、国会で受益と負担のバランスを激しく議論します。だからこそ、財政民主主義という言葉も生まれたのです。もし、財源は税でなくていいという話にするのなら、財政の歯止めがなくなる上、国会で議論する必要もなくなります。なぜなら、好きなものに、好きなだけお金を刷ればよいのですから。話し合う必要なんてない。

先に見たような、将来世代の意思決定を無視する発想も同じです。「MMT」の議論には民主主義の視点が欠けている。民主主義を死なせてはなりません。生活保障と税のあり方をどうするのか、どこまで痛みと喜びを分かち合うのか、そんな国民的議論こそが必要なのです。

──今後に向けてメッセージを。

生活保障、つまり、所得制限をつけないサービスの無償化を段階的に進め、生活扶助、住宅手当、職業訓練などの命の保障に対する中高所得層の寛容さを引き出さねばなりません。これを僕は「ライフ・セキュリティー」と呼んでいます。今回の経験の中で、日本の社会保障のプラットフォームの貧弱さが明らかになりました。小手先の議論ではなく、10年、20年先を見据えて、どのようなセーフティーネットを張り巡らせるのかという、骨太な議論を始めるべきではないでしょうか。

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